ヒッチハイク
ヒッチハイクした事ありますか?
自分は・・・・
忘れもしない1987年。
高校三年の夏休みに結果的に二ヶ月程北海道をバイクで旅している時でした。

※この写真は知床半島ウトロ側、カムイワッカの滝の先の
立ち入り禁止ゲートから先。本当に道の尽きる所にて。
1987.8(高校3年)
これより知床半島をソロで徒歩で一周して羅臼側・相泊にむけて出発する図。
バイクは同乗者(少年B)がここから羅臼へピックアップ。
なんでバイクで旅しててヒッチハイク?、と思う人もいると思いますので
少々ご説明を(^^;
最初のヒッチハイクは滞在してた羅臼より「第七回ノースランドラリー」が
行われる霧多布に向かう途中でした。
当時旅で乗っていたのはDT200R。

霧多布へ向かって国道335を走り出して間もなく、萎えるような感覚で
エンジンストップ。キックすると圧縮がありません・・・。
ありゃ~ピストンに穴が開きました・・・・orz。
一緒に走っていた友人になんとかロープで牽引してもらい羅臼に
戻り、バイクに積んでいた荷物をアタックザックに載せ変え、
自分はヒッチハイクで霧多布を目指すことに。
もちろん友人もノースランドラリーに行く予定だったので
「バイクとヒッチハイクどちらが先につけるか競争だな」なんて言って
スタートしましてね。
友人はMTX200でバビューンと行ってしまい自分はポツンと
国道335に立って親指を立てます。
ただ止まっていてもしょうがないんで、歩きながら後ろから車の気配がしたら
親指を立てて「乗せて~くんろ~♪」とアピールします。
スタートしてすぐに、中標津に買物に行く漁師の家族が止まってくれて
一気に中標津へ。
その後も運良く別海方面を抜け根室に向かう車に乗せてもらい厚岸へ。
厚岸から釧路に向かう車に乗せてもらい浜中に到着。
そこから会場の霧多布キャンプ場まで、観光に来ていた家族に
乗せて頂き無事到着。
友人を捜しましたがいません・・・・。
昨年のノースランドラリーで出会った人達と再会の挨拶を
していると友人のMTXが到着。
なんとヒッチハイクで移動していた自分の方が先についてました(^^;苦笑
友人曰く、どうせヒッチハイクで来るのは遅いだろうから途中ゆっくりと
昼飯を食べていたそうです。
バイクも速いですが地元の人の車も結構飛ばします。しかも取り締まりして
いる所を熟知してますし。

まさに「うさぎと亀」ですな(笑)。
もちろん帰りもヒッチハイクで羅臼に戻りました。
片道約130km。
その数日後、洞爺湖付近の山々で行われる「洞爺湖ビックラン」という
エンデューロレースのマーシャルを主催者から依頼されていたのですが、
何たってバイクは故障中。
今度は羅臼から洞爺湖までヒッチハイクで往復しましたよ(^^;
ヘルメットやブーツ等を持参して「洞爺ビックラン」では三輪のATVを
お借りしてマーシャルを行いました。ドロドロになりましたな(^^;
片道20台近くの車を乗り継ぎ丸一日かけての移動。
帰りは釧路のバイク屋さんに寄って注文していたDT200Rのピストン交換に
必要なパーツをピックアップして羅臼に帰還。
と簡単に言ってますが片道距離結構ありますよ・・・。大体片道550kmぐらい。

もちろん往復ヒッチハイクだし・・・。

「俺たちの宿」の作業場で野戦病院のような状況の中(笑)シリンダー外して
ピストン交換のオペを無事完了。
その後8月の終わり近くまで羅臼で楽しみ、8/29ぐらいに横浜に帰ろうとして
羅臼峠をバイクで登ってた時、これまた嫌な音が・・・。
一瞬の甲高い音とともにエンジンストップ・・・・orz。
エンジン全部バラしたらミッションのパーツの一つが折れてました・・・orz。
結局、羅臼のバイク屋さんに注文して一週間かかってやっと来たパーツが
なんと違うパーツ・・・orz泣。
すでに高校では三学期が始まっていた1987年9月6日のことでした。
仕方ないのでバイクは当時あった羅臼の日通に頼み込み、無理を言って
15,000円ぐらいで横浜まで陸送を依頼。
手元に残ったお金はなんと1,800円ほど。
総距離2,000km近く離れた横浜までヒッチハイクで帰る事を決意した日でした。

羅臼「俺たちの宿」前にて赤カブ大ちゃんと。
大ちゃんの持っているヘルメットは自分のものです。
横浜までヒッチハイクの途中、もしかしたら、もし~かしたら、バイクの
人が止まってくれて乗せてくれるんではないかと淡い期待をしてましたが
現実は厳しくて(^^;結局バイクは1台も止まりませんでした(苦笑)。
羅臼を出て一泊目は網走の駅の待ち合い室で寝て、二日目はなんとか札幌の
知り合いのバイクやさん(今はなきPit1)に寄りながら夜通しヒッチハイクを
続けて夜中の3時過ぎに函館フェリーターミナル着。
ここまでで食べたものと言えばパンを一つか二つ。
フェリー代で持っていたお金のほとんどを使ってしまいました。
しかし青森に上陸後、自分が六年生の時の担任だった恩師のお宅で
一晩ご厄介になりました(^^;
いや~お寿司をごちそうになりましてね♪
羅臼を出てまる二日、まともな食事をしていなかったのでそのお寿司の
おいしかった事。忘れる事が出来ません(^_^)
翌朝、国道4号線までわざわざ送って頂きヒッチハイク開始。
はっきり言って本州に入ったとたん誰も止まってくれません(T_T)。
まぁこちらといえば、明らかに風体のこきたない怪しいおっさんのような
状態ですから、止まってくれる方はとてもお慈悲のある方でしょうなぁ(苦笑)。
運送会社もヒッチハイカーを乗せないようにと通達があるみたいです。
1時間近く粘り、信号で止まったトラックに東京方面の何処まででも
良いから乗せてくれないかと手振り身振りで伝えても手を振られるばかり・・・・。
そんなとき1台のトレーラーが止まりました。
「何処まで行くんだい?乗ってくか?」
運転手の方は25ぐらいのあんちゃん。感謝して乗せて頂きました。
1987年9月9日の朝でした。
埼玉まで行くというので「あーこれで今日中に横浜に帰れるなぁ」と
楽観してましたがそうは問屋が卸してくれませんでした(^^;
なんとそのトラックは東北自動車道(高速))に乗らず、延々と国道4号を
ひた走ります。しかもそのトレーラー巨大な鋼材を積んでるので
遅い遅い・・・・。
ほとんどお金がないんで途中運転手さんが食事にいっても車で寝て待って
ました。
そして延々と走ります・・・・走ります・・・・走ります・・・・・
朝九時頃青森を出て、埼玉についたのがなんと翌朝の四時近く・・・orz。
走り続ける運転手の方もすごいですが、話し相手として頑張るにも限界が
ありますがな(^^;
途中何度か意識がとびましたが感謝の言葉をお伝えして降ろして頂きました。
と降りたら降りたで「ココ何処アルか?」の真っ暗な国道4号。
たぶん越谷ぐらいだったと思うんですが、ラッキーな事にすぐに
乗せてくれるトラックが見つかり、厚木に行くと言うので国道246の
溝の口まで乗せて頂きました。
九月十日午前5時頃でした。
溝の口から実家のある綱島までは約10キロ。
歩いて帰りましたよ~(^_^;)
若いってすごいなぁ・・・・


自宅着の図。1987.9.10
午前8時近くに帰りつき、シャワー浴びて制服に着替えてヒゲ
もっさりしたまま高校に行きましたよ(^^;
すでに新学期が始まって10日たってましたが(苦笑)。
4日間かけて約1,700km近くをヒッチハイクで走破。
家に帰りついた時の所持金は60円程でした(^^;。
この年のヒッチハイク総走行距離約3,100キロ。
ドロンズより何年も前の事で時代が時代なら本でも出してたか?(笑)。
ヒッチハイクで簡単に車が止まる時もありますが、大体は止まりません(^^;
止まってても精神的に良く無いんで歩くんですが、相当歩きましたね。
3,100キロのうち100キロ近くは歩きだったと思います。
そしてヒッチハイクって、いろいろな人と出会い話しが出来て
楽しいですが、昔から少なからず危険もはらんでいたりするんで
これからやろうと思う人は気をつけてくださいね。
自分は危険な目にあった事はありませんが・・・。
一昨年行った北海道の旅では一人も見かけませんでした、
ヒッチハイク。
20才の頃バイトでトラックの運転していた時、大阪まで配達に行った帰り
同じ20才のヒッチハイカーの青年を乗せました。
ドイツ人で世界一周中ということ。横浜の知り合いに会いに行くというので
横浜の会社まで乗せてその後は自家用車で横浜駅まで送ってあげました。
自分がヒッチハイクで受けた恩は、少しずつでも返せて行けたらなと思います。
読み終わりましたら下のバナーをクリックをお願い致します!
更新の励みになります。
クリックして頂けると順位がアップ♪
さぁ、今日は何位になってるかな?押すと分かります。
1日1回クリックお願いします
↓↓↓↓↓↓



にほんブログ村
↑すべてポチッと応援よろしくお願いしまーす♪m(_ _)m
最近ランキングが下がってますので・・・・(^^;
自分は・・・・
忘れもしない1987年。
高校三年の夏休みに結果的に二ヶ月程北海道をバイクで旅している時でした。

※この写真は知床半島ウトロ側、カムイワッカの滝の先の
立ち入り禁止ゲートから先。本当に道の尽きる所にて。
1987.8(高校3年)
これより知床半島をソロで徒歩で一周して羅臼側・相泊にむけて出発する図。
バイクは同乗者(少年B)がここから羅臼へピックアップ。
なんでバイクで旅しててヒッチハイク?、と思う人もいると思いますので
少々ご説明を(^^;
最初のヒッチハイクは滞在してた羅臼より「第七回ノースランドラリー」が
行われる霧多布に向かう途中でした。
当時旅で乗っていたのはDT200R。

霧多布へ向かって国道335を走り出して間もなく、萎えるような感覚で
エンジンストップ。キックすると圧縮がありません・・・。
ありゃ~ピストンに穴が開きました・・・・orz。
一緒に走っていた友人になんとかロープで牽引してもらい羅臼に
戻り、バイクに積んでいた荷物をアタックザックに載せ変え、
自分はヒッチハイクで霧多布を目指すことに。
もちろん友人もノースランドラリーに行く予定だったので
「バイクとヒッチハイクどちらが先につけるか競争だな」なんて言って
スタートしましてね。
友人はMTX200でバビューンと行ってしまい自分はポツンと
国道335に立って親指を立てます。
ただ止まっていてもしょうがないんで、歩きながら後ろから車の気配がしたら
親指を立てて「乗せて~くんろ~♪」とアピールします。
スタートしてすぐに、中標津に買物に行く漁師の家族が止まってくれて
一気に中標津へ。
その後も運良く別海方面を抜け根室に向かう車に乗せてもらい厚岸へ。
厚岸から釧路に向かう車に乗せてもらい浜中に到着。
そこから会場の霧多布キャンプ場まで、観光に来ていた家族に
乗せて頂き無事到着。
友人を捜しましたがいません・・・・。
昨年のノースランドラリーで出会った人達と再会の挨拶を
していると友人のMTXが到着。
なんとヒッチハイクで移動していた自分の方が先についてました(^^;苦笑
友人曰く、どうせヒッチハイクで来るのは遅いだろうから途中ゆっくりと
昼飯を食べていたそうです。
バイクも速いですが地元の人の車も結構飛ばします。しかも取り締まりして
いる所を熟知してますし。

まさに「うさぎと亀」ですな(笑)。
もちろん帰りもヒッチハイクで羅臼に戻りました。
片道約130km。
その数日後、洞爺湖付近の山々で行われる「洞爺湖ビックラン」という
エンデューロレースのマーシャルを主催者から依頼されていたのですが、
何たってバイクは故障中。
今度は羅臼から洞爺湖までヒッチハイクで往復しましたよ(^^;
ヘルメットやブーツ等を持参して「洞爺ビックラン」では三輪のATVを
お借りしてマーシャルを行いました。ドロドロになりましたな(^^;
片道20台近くの車を乗り継ぎ丸一日かけての移動。
帰りは釧路のバイク屋さんに寄って注文していたDT200Rのピストン交換に
必要なパーツをピックアップして羅臼に帰還。
と簡単に言ってますが片道距離結構ありますよ・・・。大体片道550kmぐらい。

もちろん往復ヒッチハイクだし・・・。

「俺たちの宿」の作業場で野戦病院のような状況の中(笑)シリンダー外して
ピストン交換のオペを無事完了。
その後8月の終わり近くまで羅臼で楽しみ、8/29ぐらいに横浜に帰ろうとして
羅臼峠をバイクで登ってた時、これまた嫌な音が・・・。
一瞬の甲高い音とともにエンジンストップ・・・・orz。
エンジン全部バラしたらミッションのパーツの一つが折れてました・・・orz。
結局、羅臼のバイク屋さんに注文して一週間かかってやっと来たパーツが
なんと違うパーツ・・・orz泣。
すでに高校では三学期が始まっていた1987年9月6日のことでした。
仕方ないのでバイクは当時あった羅臼の日通に頼み込み、無理を言って
15,000円ぐらいで横浜まで陸送を依頼。
手元に残ったお金はなんと1,800円ほど。
総距離2,000km近く離れた横浜までヒッチハイクで帰る事を決意した日でした。

羅臼「俺たちの宿」前にて赤カブ大ちゃんと。
大ちゃんの持っているヘルメットは自分のものです。
横浜までヒッチハイクの途中、もしかしたら、もし~かしたら、バイクの
人が止まってくれて乗せてくれるんではないかと淡い期待をしてましたが
現実は厳しくて(^^;結局バイクは1台も止まりませんでした(苦笑)。
羅臼を出て一泊目は網走の駅の待ち合い室で寝て、二日目はなんとか札幌の
知り合いのバイクやさん(今はなきPit1)に寄りながら夜通しヒッチハイクを
続けて夜中の3時過ぎに函館フェリーターミナル着。
ここまでで食べたものと言えばパンを一つか二つ。
フェリー代で持っていたお金のほとんどを使ってしまいました。
しかし青森に上陸後、自分が六年生の時の担任だった恩師のお宅で
一晩ご厄介になりました(^^;
いや~お寿司をごちそうになりましてね♪
羅臼を出てまる二日、まともな食事をしていなかったのでそのお寿司の
おいしかった事。忘れる事が出来ません(^_^)
翌朝、国道4号線までわざわざ送って頂きヒッチハイク開始。
はっきり言って本州に入ったとたん誰も止まってくれません(T_T)。
まぁこちらといえば、明らかに風体のこきたない怪しいおっさんのような
状態ですから、止まってくれる方はとてもお慈悲のある方でしょうなぁ(苦笑)。
運送会社もヒッチハイカーを乗せないようにと通達があるみたいです。
1時間近く粘り、信号で止まったトラックに東京方面の何処まででも
良いから乗せてくれないかと手振り身振りで伝えても手を振られるばかり・・・・。
そんなとき1台のトレーラーが止まりました。
「何処まで行くんだい?乗ってくか?」
運転手の方は25ぐらいのあんちゃん。感謝して乗せて頂きました。
1987年9月9日の朝でした。
埼玉まで行くというので「あーこれで今日中に横浜に帰れるなぁ」と
楽観してましたがそうは問屋が卸してくれませんでした(^^;
なんとそのトラックは東北自動車道(高速))に乗らず、延々と国道4号を
ひた走ります。しかもそのトレーラー巨大な鋼材を積んでるので
遅い遅い・・・・。
ほとんどお金がないんで途中運転手さんが食事にいっても車で寝て待って
ました。
そして延々と走ります・・・・走ります・・・・走ります・・・・・
朝九時頃青森を出て、埼玉についたのがなんと翌朝の四時近く・・・orz。
走り続ける運転手の方もすごいですが、話し相手として頑張るにも限界が
ありますがな(^^;
途中何度か意識がとびましたが感謝の言葉をお伝えして降ろして頂きました。
と降りたら降りたで「ココ何処アルか?」の真っ暗な国道4号。
たぶん越谷ぐらいだったと思うんですが、ラッキーな事にすぐに
乗せてくれるトラックが見つかり、厚木に行くと言うので国道246の
溝の口まで乗せて頂きました。
九月十日午前5時頃でした。
溝の口から実家のある綱島までは約10キロ。
歩いて帰りましたよ~(^_^;)
若いってすごいなぁ・・・・


自宅着の図。1987.9.10
午前8時近くに帰りつき、シャワー浴びて制服に着替えてヒゲ
もっさりしたまま高校に行きましたよ(^^;
すでに新学期が始まって10日たってましたが(苦笑)。
4日間かけて約1,700km近くをヒッチハイクで走破。
家に帰りついた時の所持金は60円程でした(^^;。
この年のヒッチハイク総走行距離約3,100キロ。
ドロンズより何年も前の事で時代が時代なら本でも出してたか?(笑)。
ヒッチハイクで簡単に車が止まる時もありますが、大体は止まりません(^^;
止まってても精神的に良く無いんで歩くんですが、相当歩きましたね。
3,100キロのうち100キロ近くは歩きだったと思います。
そしてヒッチハイクって、いろいろな人と出会い話しが出来て
楽しいですが、昔から少なからず危険もはらんでいたりするんで
これからやろうと思う人は気をつけてくださいね。
自分は危険な目にあった事はありませんが・・・。
一昨年行った北海道の旅では一人も見かけませんでした、
ヒッチハイク。
20才の頃バイトでトラックの運転していた時、大阪まで配達に行った帰り
同じ20才のヒッチハイカーの青年を乗せました。
ドイツ人で世界一周中ということ。横浜の知り合いに会いに行くというので
横浜の会社まで乗せてその後は自家用車で横浜駅まで送ってあげました。
自分がヒッチハイクで受けた恩は、少しずつでも返せて行けたらなと思います。
読み終わりましたら下のバナーをクリックをお願い致します!
更新の励みになります。
クリックして頂けると順位がアップ♪
さぁ、今日は何位になってるかな?押すと分かります。
1日1回クリックお願いします
↓↓↓↓↓↓



にほんブログ村
↑すべてポチッと応援よろしくお願いしまーす♪m(_ _)m
最近ランキングが下がってますので・・・・(^^;
- 関連記事
-
- 新婚旅行 (2011/09/01)
- ヒッチハイク (2011/05/17)
- チヌーク (2011/04/17)
スポンサーサイト
2011-05-17(Tue)
トラックバック
FUMAのジャケット、やっぱりそうですよね!
そう言えば私、この年の北海道ツーリングの後、
37Fの中古DT200Rを買いました。
バイク弄りが好きで、全部自分で整備でした。
私のはブルーでリムをシルバーに組み替えた程度でしたが、
写真はライトがカッコよくなってるし、ウィンカーは超ミニだし、
タイヤも、それで公道走りますか?って感じですね・・・自分もでしたがw
野戦病院みたいなやつは凄いですね、ピストン交換なのに
ミッション開いちゃってるように見えますが・・・?
あそこまでバラすには私だったらハンマーとか
インパクトドライバーとか欲しいところです。
なんか色々と当時の自分とかぶってて、
細かい所まで気になってしまいます。
そう言えば私、この年の北海道ツーリングの後、
37Fの中古DT200Rを買いました。
バイク弄りが好きで、全部自分で整備でした。
私のはブルーでリムをシルバーに組み替えた程度でしたが、
写真はライトがカッコよくなってるし、ウィンカーは超ミニだし、
タイヤも、それで公道走りますか?って感じですね・・・自分もでしたがw
野戦病院みたいなやつは凄いですね、ピストン交換なのに
ミッション開いちゃってるように見えますが・・・?
あそこまでバラすには私だったらハンマーとか
インパクトドライバーとか欲しいところです。
なんか色々と当時の自分とかぶってて、
細かい所まで気になってしまいます。
GPz250(当時)さん、コメントありがとうございます(^_^)
FUMAのジャケットはノースランドラリー霧多布で、風間さんから頂いたものです。
ノースランドラリーの写真は今見ても懐かしいですね!
最近は自分も含め、何かとキャンプ道具が多くなってしまい、あの頃みたいなシンプルなツーリングキャンプをしたいですね(^_^)
コメントありがとうございました!
FUMAのジャケットはノースランドラリー霧多布で、風間さんから頂いたものです。
ノースランドラリーの写真は今見ても懐かしいですね!
最近は自分も含め、何かとキャンプ道具が多くなってしまい、あの頃みたいなシンプルなツーリングキャンプをしたいですね(^_^)
コメントありがとうございました!
ノースランドラリーの各年の開催地を検索していてヒットしました。
自分もノースランドラリー霧多布は確か行った気がします(記憶が不確かですw)
その時ジャンケン大会で風間さんから紺と赤のジャケットを頂いたんですが、写真のジャケットも同じものでしょうか?
懐かしいですね。
すいません、ヒッチハイクと関係なくてw
自分もノースランドラリー霧多布は確か行った気がします(記憶が不確かですw)
その時ジャンケン大会で風間さんから紺と赤のジャケットを頂いたんですが、写真のジャケットも同じものでしょうか?
懐かしいですね。
すいません、ヒッチハイクと関係なくてw
コメントの投稿